フリーランス臨床心理士になるまでの軌跡

フリーランス臨床心理士になるまでの軌跡

フリーの臨床心理士として活動するまでの記録をブログに残します。学習知識、考察、etc...

僕が臨床心理士を目指すわけ

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僕が臨床心理士を目指す理由。

簡単に言うと、自分自身のコンプレックスを解消するためです。

 

 

コンプレックスとは

 

精神分析学者のユングは、コンプレックスを次のように定義してる。

 

”コンプレックスとは、自我を脅かすような感情の複合体であり、コンプレックスとの対決が個性化を促すのだ”

 

・・・・・と。

 

一方で、臨床心理士は、”心の問題に取り組む、心の専門家”とあります。

 

では、”心の問題”とは何かというと、「人との関わりが一方向的もしくは皆無、かつ、それが継続的な場合に起きる冷静さを欠いた状態」だと僕は考える。

 

 

例えば、いじめは、被害者が加害者に仕返しをできないから生じる。あるいは、周囲に助けを求めても、それに呼応する人間がいない状態。

 

また、セクハラも、加害者の欲を被害者が払いのけることができずに生じる。あるいは、騒がられることの恐れから周囲に相談できずにいる状態でもある。

 

これらが、”心の問題”、つまり、冷静さを欠いた状態に到るまでのプロセスなわけだ。

 

では、冷静さを欠いた状態とは、何かと言うと、”感情に支配された状態”と言い換えることができる。この”感情に支配された状態”こそ、ユングが定義したコンプレックスの”自我を脅かす感情の複合体”に該当する部分だ。

 

ということは、ユングの言葉を借りるなら、心の問題と対決することが、その問題解決の入口であり、”個性化”することがゴールだと言える。

 

さらに、個性化とは何かというと、”コンプレックスを解消していくこと”なわけだが、

簡単に言えば、人間関係やコミュニケーションを積み重ねることだ。

 

 

心の問題を抱えているのは誰か? 

 

”コンプレックス=心の問題”

とわかったところで、誰が”心の問題”を抱えているのか考えてみる。

 

先ほどの、いじめやセクハラの例で言えば、被害者はもちろんそうなのだが、本当に被害者だけなのかというと僕はそうは思わない。

 

加害者やその周囲を囲ってる人も、”心の問題”を抱えてる人なのだ。

 

心の問題とは、”感情に支配され冷静さを欠いた状態”なのだから、これだけいじめやセクハラが社会問題として取り上げられれば、その行為が露見した時に自分がどうなるかは容易に想像がつくはずである。それでもやってしまうというのだから”冷静さを欠いてる”と言わざるを得ない。

 

では、何がそうさせてしまうのかと言うと、”数の力”や”権力”などの要因が、加害者を勘違いさせてしまうのだ。”自分はそうはならないだろう”・・・・と。

 

臨床心理士の役割

 

以上を踏まえ、臨床心理士がすべきことを考える。

 

臨床心理士とは、”心の問題に取り組む心の専門家”であるはずだ。

であれば、 心の問題を抱えてる、被害者はもちろん、その加害者や周囲の人間にも働きかけをする存在であるべきだと僕は考える。

 

個人に対しては、心理支援や対人関係能力の向上、周囲の人間に対しては、情報提供をして意識をしてもらうことなどが挙げられる。

 

しかし、どちらかと言えば、後者の方が困難だろう。なぜなら、彼らは、自分が”心の問題”を抱えてるとは思ってない。

 

だけど、僕はそれもやりたい。こういった人間関係の歪みやねじれこそ、”心の問題”の引き金だからだ。そして、そのような歪みやねじれは程度の違いこそあれ、日常的に僕たちの目の前に表れる。それはすなわち、”生きづらさ”だし、生きてる限りは、そこに直面せざるを得ない。であれば、人間関係を扱う能力が高い人は生きやすいし、そうでなければ当然生きづらい道を歩むこととなる。

 

そして、僕はその生きづらさをいまだに感じる。その生きづらさを、解消するために僕は他人の生きづらさに向き合う仕事がしたいと。なぜなら、他人の問題を扱うことは、僕自身の問題を解決することにも繋がるからだ。

 

それこそが、冒頭で”自分自身のコンプレックスを解消するため”と述べた意味だ。

 

 

この文章をクラウドファンディング にて掲載しました。